2023/07/26 00:30

2021年に公開されたDUNE 砂の惑星ですが、最近ようやくpart2が2024年1月に公開されることが発表されました。今年の4月には小説 "DUNE 砂漠の救世主"の新訳も発売されて、期待も高まっているところなので、改めてこの映画について言語化してみようと思いました。


私の中で、DUNEという映画は一言で言えば"風景"の映画です。そこには2つの意味があって、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作るSF作品のビジュアルデザインが素晴らしいというのがまず1つ。もう1つは、人間にとって風景というものがよすがになる事を教えてくれる作品だという意味です。DUNEに関してはHOKKIEEとやっているZSC PODCASTでも結構話しましたが、繰り返し見る中で自分が見つけたこの映画の本質はこれだと気づいた瞬間がありました。

その時の感動を伝えるには単にそのシーンについて書くだけでは足りないので、まずはDUNEのあらすじから書いてみます。


DUNEはある銀河帝国の中での覇権争いの話です。

出てくるのは主人公ポールの所属するアトレイデス家、ライバル関係にあるハルコンネン家、銀河皇帝であるコリノ家の3つの家の人々と、どの家にも関わり権力争いとは異なる目的を持つベネ・ゲセリットという集団です。

アトレイデス家は地球によく似た水の惑星カラダンを治めていました。ポールの父、レト・アトレイデスはこれまでハルコンネン家と皇帝との争いの中でその力を伸ばし、銀河帝国の貴族の中でも人気があり勢いを持っていました。そんなアトレイデス家の力を削ぐ為にハルコンネン家と皇帝が計画して、アトレイデス家に砂漠の惑星アラキス(デューン)を新たに治るように命令します。アラキスからは貴重なスパイスが取れ、これを摂取すると人は特殊な力を使えるようになったり、寿命が延びる貴重なものです。ハルコンネン家はアトレイデス家の前にアラキスを治めていて、スパイスの採取事業で莫大な富を得ていました。スパイスは金よりも貴重で、それ自体が銀河で最も価値がある物質です。アトレイデス家が新しくアラキスを治めるようになるというのは、銀河全体のパワーバランスに変化をもたらす出来事です。

アトレイデス家の跡継ぎであるポールは、アラキスに移住することで若くしてこの権力争いの渦中に巻き込まれる事になります。

これがポールの持つ、父方の血筋の物語です。しかしポールにはアトレイデスだけでは無く、ベネ・ゲセリットに所属する母親のジェシカの血も流れています。


ベネ・ゲセリットは数十世紀にもわたる交配の末、救世主を産み出そうとしている修道女の集団です。彼女達には特殊な力があり、人の精神を操ったり嘘を看破したり、運命を占う事ができます。何となく魔女をイメージしてください。彼女達はその力を貴族から求められる存在でもあり、それを利用して貴族達の中に入り込み根を張ってきました。情報戦に長け、今度はそれを取引材料に貴族と自分達の構成員とを結婚させ、救世主を産むのに必要な交配計画を進めていきます。

そしてポールの母ジェシカは、その計画に則って産まれたベネ・ゲセリットの1人と、アトレイデス家とライバル関係にあるハルコンネン家のトップ、ウラディーミル・ハルコンネン男爵の子供です。本人も男爵もその事を知らないのですが、ジェシカの母であるベネ・ゲセリットがハルコンネン家のスパイスの横領といった悪事をバラすと脅して、同性愛者である男爵を犯して産まれています。男爵の体がぶくぶくに太っているのはその性行為の際にベネ・ゲセリットを乱暴に扱ったため、仕返しに体内で生成された毒を仕込まれたせいで、彼はそのために現在の醜く、重力軽減装置無しでは自分で動く事もできない身体になってしまったのです。ベネ・ゲセリットはこんな感じで救世主を産む為には何でもやる凄まじい集団です。人間的な倫理観や感情が無いわけではないのですが、訓練による抑制もあって目的を第一に考えています。

ちなみにハルコンネン男爵とジェシカ役の俳優がどちらもスウェーデン人なのは、この血筋という設定のためでもあると思います。

そしてポールは男児であったにも関わらず、母ジェシカからベネゲセリットの秘術の特訓を受けており、予知夢を見る力にも目覚めています。ベネ・ゲセリットにとってポールは彼女達の目指す救世主に近い存在で、ポール自身がそうでなくてもその子供にまた計画を続けさせなければいけません。そのため、ベネゲセリットにとってポールは守らなければならない存在で、アラキスでハルコンネン家と皇帝の親衛隊の襲撃を受けた後でもポールが生かされて砂漠に捨てられたのは、ベネ・ゲセリットとハルコンネン家の間で予めポールの命は奪わないようにと取り決めがあったからです。また、ベネ・ゲセリットは過去に、アラキスの原住民であるフレメン達の宗教の中に、自分達の救世主の存在を混ぜるよう工作していたことから、それを利用してフレメン達が待ち望んでいた救世主は新しくやってくるアトレイデス家のポールだという噂を流します。これによりポールがフレメン達の興味を惹き、彼等の指導者となる道筋をつけていたのです。

こんな感じでDUNEは結構ドロドロの人間ドラマの要素が背景にある物語です。ポールの物語は彼にこの2つの立場の血が流れている事で激しさを増します。


アラキスに移り住んだ後、アトレイデス家は襲撃を受け壊滅。ポールはダンカンや皇帝配下の生態学者リエトの助けを得て砂漠に逃げ、フレメンと行動を共にします。

フレメンはアラキスの原住民で砂漠での生活に適応するための習慣や価値観を徹底した民族です。砂漠では水が最も価値が高く、体から出る水分を吸収し循環される機構をもつスティルスーツに身を包みます。糞尿や汗からも水分を回収するので、スースを着ている時に失う水は1日で針の先ほどと言われる程高い技術です。フレメンはハルコンネン兵を襲った場合、彼等の死体の水分を搾り出してフレメン達の隠れ家にある溜池に加えます。これは彼等の仲間が死んだ時も同様で、身体に流れる水は民族全体のものだという考えが根付いています。

映画の作中では明らかになっていませんでしたが、彼等にもまた目標があります。それはかつてリエトの父が彼等に与えた、砂漠の星を緑化するというものでした。リエトの父もまた惑星の生態学者で、皇帝の命でアラキスの調査に来ていました。アラキスでは枠祭の大半は砂漠で、北極や南極に当たる場所から氷を切り出して運んで水にしています。緑化には当然大量の水が必要ですが、生活する分の水を手に入れるのも大変です。しかしリエトの父はアラキスの地中に眠る水の存在を明らかにし、フレメン達にアラキスが緑化出来るという計画を広めたのです。当然反発もありましたが、リエトの父は数少ないオアシスと、砂嵐の届かない洞窟の中を使って植物を育てます。次第にフレメンの中から理解者が現れ、彼の計画はフレメン全体の計画となるのです。砂漠に住んでいれば、誰もが水や生い茂る緑、果物や魚を夢見るでしょう。フレメン達は今何十年何百年とかかる計画の為に、民族の水を使う事を決めたのです。リエトの父はその後死にますが、計画はリエトに引き継がれ続きます。

作中でポールの逃げた先にあるフレメンの洞窟の中で植物を育てている部屋があったのは、この計画が進んでいることを原作を知る人に見せる為です。


DUNEという映画の中には、こうした細かな描写の中に明文化されない様々な力が働いています。それらは全て世代を超えて受け継がれているもので、ポールはその宿命を背負う存在です。アトレイデス家の領主だった父は死に、後継者としてのプレッシャーを負います。母は自分を息子ではなくベネ・ゲセリットの求める救世主として扱うようになりますが、それはポールが求めてそうなったものではなく、受け入れ難いものです。実際に母上が僕を化け物にしたと責める台詞もあります。砂漠を逃げ惑う中、ポールを蝕むのは孤独でした。

この物語はこのような形で、主人公であるポールが何もかもを失う所から始まります。こうした始まりは物語としては珍しいものではありませんが、DUNEの映画の背景にある綿密な設定とそのハードさから、ポールの心情が狂おしいほど伝わってきます。それは間違いなくこの映画の魅力です。


さて、これでようやく僕が見た"風景"についての話ができます。DUNEの映画を繰り返し見る事で気がついたら事なのですが、ポールが惑星アラキスに移り住んでから当てがわれた寝室の壁には、レリーフで水面の波紋と魚が彫られていました。レトとジェシカの寝室の壁のレリーフや広間の扉などにはこの様な具体的なモチーフではなく、幾何学模様の飾りが施されていてどちらかといえばこちらがアラキスではスタンダードなもののようです。なぜポールの部屋の壁にだけ、具体的な風景が描かれているのか、その事に気づいた僕はこれは故郷であるカラダンを描いたものなのでは無いかと考えました。若くして故郷を離れたポールを慰める為に用意されたものだと。

ポールは襲撃で父を失った上、ベネ・ゲセリットという集団の一員として暗躍していた母への信頼も失います。そんな彼がなぜフレメン達と手を組み、もう一度立ち上がる事ができたのか。僕はその理由が、このレリーフに描かれた風景にあると思ったのです。アトレイデス家を失い、信じられる人の居なくなったポールに残っているのは、故郷である水の惑星カラダンへの思いであり、それはフレメンの夢見る緑化したアラキスと重なるものだという考えに至りました。

フレメンにとっては、まだ遠くにある希望としての水と緑、ポールにとっては遠くにある故郷としての水と緑。それが重なるからこそ、ポールはフレメンの指導者になり得るのだと気づいたのです。同時に人にとって最後に信じられるのはそうした風景だという実感が湧いてきました。

家族や愛も大切だけど、そうしたものが失われて本当の最後は自分にとって大切な土地の風景が自分を救う、そんな風に思います。