2020/07/14 19:18

最近何度か文章を書いて欲しいと言われました。

自分の店の「LAYYER」がこっそり動き出して、タイミングとしても丁度いいかなと思うのでブログでも書いてみようかと思います。


当分は考えながら書く文章なので、良ければ一緒にお付き合いください。



仕入れをするようになってから時々、服の良し悪しをどう決めるかについて考える事があります。


古着屋としては、服のデザインの歴史の中に残る様なものが良いと思っています。細かなディテールを含め、服のデザインの進歩が見えるもの、過去の時代を代表するデザインの服を集めて、今ある服のとの繋がりを見せたいなという考えから「LAYYER=層」という店名を付けています。


つまり、自分の外部にある歴史と、そこで培われてきた価値観で服の良し悪しを決めるわけです。僕個人の価値観だけでやってるわけじゃないというのが肝です。



服とは物なので、自分が着る着ないを考えずにそれ自体の完成度やデザイン、素材などから価値を量る事ができます。 


そして次の段階が、自分にせよ他人にせよ、服と体が関係することで生まれる価値。服の価値にはこの2種類がまずあります。



ファッションというのはそれに対して、関係する対象を社会にまで拡張して、現在進行形で価値を生み出す行為に他なりません。

社会に対して、誰かがある服を作り、スタイリングし、こういう人物像が今1番魅力的なんだという主義主張があり、それを鑑賞者側が共感して支持されることで価値が生まれる。


色んな思考や背景も、全てスタイリングの中に込めて、ファッションを愛する人達の欲望と知性に働きかける視覚言語です。当然扱える人は限られているけど、それが出来れば世界の最先端を楽しめるものです。そのやり取りの中で、価値が生まれて広がって終わっていく流れ自体がファッションです。



一般的には、ある服の価値は似合う似合わないで判断するのが始めで、そこから服自体やデザインに興味が湧くと物としての価値を追求する方に行きます。


ファッション好きという人は、そこで服それ自体ではなくその服を着てどう見られるが、自分がどういう人間だという表現になってるかに気が向くと思います。

そこからファッションという価値観があるのを感じ、その中でより魅力的に見えるにはという意識が生まれるかが分かれ目です。



日本のお店は結構この意識が抜けている所が多いですね。自分の価値観を表現するのに躍起になって、あくまでローカルなものとして楽しんでしまう。自分の中にある(ファッション)を追いかけているんですが、閉じ籠ってしまうと大体お洒落じゃなくなります。


今のファッションの流行が嫌いならそれに対するカウンターとして、自分のスタイルをより良いものとして発信すれば良いのに、外部や社会を遮断してしまうケースが多いです。それって勿体無いですね。


ファッションは現代性がとても強い分野なので、現代社会と密接に関わり常にアップデートしていく事が求められます。ファッションの主要な目的は、現代において魅力的な人物像の提示です。

なのでファッションを突き詰めると自ずから、自分の周囲の人間からも魅力的に見えるようになる筈です。


LAYYERは、こんな話をもっと具体的なレベルでしながらやっていく店です。




ここまで書いたとこで、根本的な話をしすぎてて書くのが嫌になりました。

というか、書いてると色んな反論や書き足りない事が無限に浮かんでくるので頭の中がタイトルの状態になりました。いつもそうです。

続きは次回。